日常業務を田植えや稲刈りと同様に扱わないのが働き方改革

米の自由化が議論されていた時代に、仲間同士でその話をした時に農業関係団体にいた人が「稲作は文化」と発言しました。その場にいた人は発言者と私以外全員が笑いました。
今時、この東京で稲作なんか関係ない、と。
私は、稲作文化にどっぷり浸かっているのに気が付かないのかと不思議に思いました。

田植えと稲刈りを、機械ではなく、手作業で行われているところを実際に見たことはありますか?
今は機械化されていますので、1つの機械で1つの田んぼを短い時間で田植えや稲刈りをします。機械がない時代は、集落の農民が総出で集団で一緒に作業をしていました。

田植えも稲刈りも腰を曲げて作業をしなくてはならない重労働です。1人でやろうとすると、重労働だけに、やらねばならない作業量を考えてしまうと気が滅入りそうです。自分のペースでできるかもしれませんが、それだけ自分を律しなければなりません。

皆と一緒にやることによって、辛さが軽減されます。皆がやっているのに、自分だけ辞めるわけにはいきません。同じ苦しみを味わっていて一体感も生まれます。
皆と一緒にやっているだけで、作業量は変わりません。それでも、その一緒にやっていることが、心理的負担を軽減します。

「皆が一緒に一生懸命頑張る」これが稲作文化だと私は考えています。それならば、この文化は日本に今でも残っていると言えるでしょう。

欧米ではデスクワークは個別に敷居があると良く言われます。日本では大部屋が普通です。これはりっぱな業績を上げていて、個別に敷居を作ることぐらい簡単と思われるような企業も同様です。

大部屋にする利点は何でしょうか。
コスト削減につながることは確かでしょう。その他では、従業員の顔色がわかる、頑張っている状態がわかる、何を頑張っているのかがわかる、用事があればすぐに聞くことができるなどの物理上の利点があります。
それだけでしょうか?
それだけではありません。
同じ空間を共有することで、労働時間を長くすることを標準にする場合、それを促す効果があることです。皆が一生懸命仕事をしているのなら、自分も一生懸命しなくてはという気持ちが生まれるのです。

このことを中間管理職の観点からみると、部下を目の前にして仕事をしていることが、部下を管理していることにつながると考える人が多くなります。特に効果的な指導をしなくても、です。

田植えや稲刈りと同じように、皆と共同作業として一生懸命仕事をしようとすることは、日本企業及び日本社会で働き方改革を行うのであれば、考慮しなくてはならない要素です。

高度経済成長期は、この頑張りが良い結果をもたらしました。
しかし、今は足かせになっています。特に、働き方改革では。

「同じ条件で同じ空間の中で一生懸命頑張る」のが一番良いとは限りません。
皆と一緒に一生懸命働くことは、田植えや稲刈りのように、同じような水準の作業をするには良いでしょう。
また、常に頑張れば結果がついてくる場合も良いでしょう。

パソコンを日常的に使うデスクワークでは、情報を如何に活用できるかが重要な能力です。その能力を生かすために、従業員それぞれが異なる内容の学習を行うことになります。当然、従業員個人はそれぞれ課題となる内容も異なりますし、水準も異なります。

企業が要求する業務目的を達成することを前提として、皆で一生懸命頑張るよりも、個人の成長を促す方が良いと考えます。

日本企業では、頑張ることを重要視しているためか、ハイパフォーマーが育ちにくい傾向があります。また、頑張ることを求めるために、年功序列になりがちで、若い人が習得したスキルによって利益を得る企画を作っても、企業内でそれを発揮できるチャンスを得ることが難しいこともあります。

これまで大部屋で一緒に一生懸命働くデメリットを説明しました。
だからといって、いきなり大部屋を変えなくてはならないわけではありません。
私が主張したいのは、大部屋であることは、「同じ条件で同じ空間の中で一生懸命頑張る」になりかねないことを理解することです。それが働き方改革に影響を及ぼしかねないことです。
そのような傾向を理解した上で、個人の成長を促す施策を今以上に実施することが必要です。

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