人の成長は①提供価値を構成する最低水準到達、②個人の特定能力向上の2つに分けて考える

企業は顧客に対して価値を提供します。その品質が著しく劣ってしまい、目指す価値を提供できない状態になってしまったら、当然、顧客は離れてしまいます。価値を提供する以上、従業員を教育する場合、提供価値を構成する最低水準に到達させることは最低限やらねばならないことです。

新人や業務の未経験者などの場合、教育がまだ行き届いていないのに、価値を提供する工程の一端を担う場合はあります。それは、仕事をしながら教育を進めた方が早期に育成できるからです。最低水準に到達していないことがわかっているのだから、教育係の従業員を配置するなど、支援体制はきちんとしなければなりません。

人の成長は①提供価値を構成する最低水準到達、②個人の特定能力向上の2つに分けて考えます。上記にも書いたように、①提供価値を構成する最低水準到達には、企業として当然配慮します。それだけで良いのかと言えば、日本企業の多くには2つの問題を抱えていると認識しています。

1つは、それ以上の能力向上を図ることが重要視されていないことです。その代わりに、売上高増加、スペック向上、コスト削減など目に見える結果に結びつく努力を重要視しているからです。

人の成長に対しては、②個人の特定能力向上の側面もあること、その向上を支援する仕組みと経営上の明確な位置づけが必要です。なぜなら、売上高増加、スペック向上、コスト削減など目に見える結果ばかり追い求めると、すぐに結果が出ることばかりするようになり、題材がなくなり、先細りになる可能性が高いからです。

「課題に取り組んだけれども、結果が伴わなかった。しかし、特定の能力はその課題を行うことによって向上した。」

これは決して言い訳ではありません。給与上昇で酬いるのかどうかは別にして、上司と部下の間では、能力が向上したこと、それに向けて努力したことは共通の認識を持っていても良いのではないでしょうか。それによって、特定の能力が向上したことで、次の期に新たな挑戦を生み出すことができる可能性が高まります。目に見える結果を重要視されるとその新たな挑戦を行う可能性がなくなります。

もう1つは、能力向上を図る際に、上記①提供価値を構成する最低水準到達を向上させるためのコミュニケーションの方法を常に使っていることです。「これをやれ」、「ここまでやれ」、「ここが足りない」など、具体的にやることを指し示したり、足りないことを指摘したりするコミュニケーション方法です。このコミュニケーション方法は、基本的に技量・経験が豊富な上位の地位にいる者が、技量・経験に裏打ちされることが前提で行われます。

この方法は上記②個人の特定能力向上を促すには適していません。個人が特定の能力向上を図ると、いつかの時点で上位の地位にいる者よりも、その分野の知識が豊富になり、技術力も高くなります。その個人だからこそ、考えることができる内容できます。そうなると、上位の地位にいる者は、

(1)話し合いをして、これから伸びそうなところ、前回の取り組みでうまくいかなかった要因など、彼らにしかわからない感触・考えを引き出し、その高い水準をより伸ばそうとする、より活用しようとするなどの行動を支援します。

(2)彼らが高い技術水準を持つことで得られる感触を基に、話し合いをして、個人の修得度や潜在能力にふさわしい目標設定を行います。なお、これは売上高など目に見える結果の数字をノルマのように与えることとは異なります。

これらの行動内容をより良くするには、最低水準到達を向上させるためのコミュニケーションの方法ではできないのです。

なお、なぜ日本組織では、個人の特定能力向上に対して重要視していないのは、以下の2つの要素の認識が低いからと考えます。

①人はアイデアを考える際に、自分ができそうなことの範囲で考えようとします。言い換えれば、今の場所から近い距離にあることの中から良いモノを考えようとします。技術力が高い者ならば、その技術水準から比較的容易に到達できることをアイデアとして産み出すことができます。技術水準が低い者はその水準に容易に届かないため、同じアイデアは産みにくくなります。

②個人の特定能力向上は、絞り込んだ目標を掲げて、その目標に向けた。絞り込んだ意識を持って努力する方が能力水準を向上しやすくなります。日本では完成度を高めるため、ヌケを無くそうとするとか、既存の製品またはサービスに「足す」ことをするとかの行動を取ろうとします。必要ないとは言いませんが、特定能力向上には結びつきにくいです。

 

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