変化が激しい時代に日本は輝けるでしょうか。
日本製造業が輝いた3時代を整理してみます。
日本は、戦国時代の鉄砲量産、明治時代の産業革命、昭和時代の高度経済成長と、3つの時代で世界を驚かせました。
戦国時代における鉄砲の量産は、当時多くの植民地を持っていた欧州のポルトガル、スペインは驚いたでしょう。
鉄砲を伝えてから、数年後には量産しているのですから。
これまで植民地にした民族はそんなことをしませんでした。
戦国時代末期には、日本は世界有数の軍事国家になってしまいました。
昨年7月、明治日本の産業革命遺産が登録されました。
登録名称は「明治日本の産業革命遺産-製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」です。
日本人として誇りに思った人は多いでしょう。
「主に九州、山口を中心に進められた日本の近代化は、西洋先進諸国からの積極的な技術導入によって進められ、それらの国と日本における文明の交流を示す顕著な事例であること」
「鎖国状態にあった日本において、非西洋地域で初めて、約50年間という短期間で飛躍的な経済的発展を成し遂げた産業遺産群は、その歴史上の重要な段階を物語る建築物をまとまった集合体として捉えることができる顕著な事例であること」
が評価されましたた。
裏を返せば、当時の開発途上国の状態から、急速に産業革命を成し遂げた国は他になかった、ということです。
昭和時代の高度経済成長期も世界を驚かせました。
敗戦後、日本は焼け野原の状態で何もありませんでした。
しかし、朝鮮戦争による特需景気をきっかけに、経済を好転させました。
耐久消費財の大量生産がはじまる頃だったことが幸いしました。技術導入を進め、大量生産できる体制を整えていきました。
初めのうちこそ、メイドインジャパンは粗悪品の代名詞でした。
だが、品質管理を徹底させ、改善・改良を進めていくうちに、高品質の代名詞となりました。
ブランドを確立して、輸出で多額の利益を得ました。
奇跡的な経済成長を成し遂げ、当時世界第2位の経済大国に成長しました。敗戦後は焼け野原だったのに、です。
私は技術習得力と改善、改良に取り組むことを合わせて「追いつけ追い越せ行動様式」と名付けました。
その行動様式は他国に例を見ないものでした。
それが彼らを驚かせる結果を導き出す原動力となりました。
日本は、この3つの時代は確かに輝いていましたが、いずれの時代も長続きしませんでした。
戦国時代の鉄砲は、その勢いで世界を席巻することはありませんでした。
戦国時代を経て統一を果たした徳川家康が、日本人の新奇な道具を作り出す特徴を恐れ、新奇な道具作りを禁止しました。そのおかげで、鉄砲作りは幕末まで停滞したままでした。
明治維新時、ほとんどの藩で時代遅れの火縄銃が多く存在しました。
長州、薩摩はいち早く欧米の高度な銃を買って、兵の近代化に努め、維新を起こす原動力となりました。
明治時代の産業革命は、順調に進展しました。日本は国際連盟で常任理事国になるなど、世界の一等国にまでになりました。
しかし、世界大恐慌のあおりを受けて、経済が立ちゆかなくなり、海外進出で何とかしようとして、泥沼の戦争に陥ってしまい、敗戦を迎えました。
昭和時代の高度経済成長の後、日本は長期デフレから脱却できず、停滞しています。
また、今回も製造業が輝いた時代は長続きしないのでしょうか。
このまま日本は衰退していってしまうのでしょうか。
このような時代の盛衰に「追いつけ追い越せ行動様式」はどのように関係しているのでしょうか。仮に変えなければならないとすれば、何をどのようにを変えていけば良いのでしょうか。
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