「物欲」と書くと何か低次元のことと考える高貴な人もいるかもしれないが、仕事のモチベーションを保つには何であれ大切なことです。
今の日本には少なくとも「物欲」によるモチベーションが猛烈に低くなっているように思えます。
今、「○○を猛烈に買いたい」という対象があなたにはあるでしょうか。
大きなものでは、持ち家、マンションを挙げる人もいるでしょう。もちろん、それは今も昔も変わらず重要な物欲の対象でしょう。もっとも、不透明な時代だからこそ賃貸で暮らすべきという人も出てきていますが。
車はどうでしょう。新車の販売があまり伸びていないと聞きます。特に若い人の一部が車無しの生活で満足しようとしていると多くの人が指摘しています。
高度経済成長期には耐久消費財が普及し、生活そのものが変わりました。1950年代後半には三種の神器として、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が、1960年代半ばからは3Cとして、カラーテレビ、クーラー、車が普及していきました。
これらは、無かった時のことを想像すればわかりますが、生活が大きく変わる商品でした。
耐久消費財が普及する前の開発途上国に経済協力で現地にいた人に話を聞いたことがあります。
私が異なる民族の人々のマネジメントは難しかったでしょう、と言うと、簡単だったと返されました。その理由は、雇っていた人にもっと仕事をくれと常に言われていたからだそうです。それは食べられないからではなく、耐久消費財を買うためだったそうです。
日本の高度経済成長期はまさにそのような時代だったのでしょう。耐久消費財を買おうとする「物欲」があれば、高いモチベーションが維持されていたのではないでしょうか。これらを買うためになら、例え上司の理不尽な命令であっても、耐えられると思っていた人も多かったかも知れません。
ひどい言い方をすると、今の若い人々をモチベーションが低いと指摘する人は多いが、「物欲」が低いこともその要因の一つかもしれません。
デフレの要因の一つは、魅力的な商品やサービスが出てこないからだ、と主張する人もいます。俺達は頑張っているのに人ごとみたいに言うな、と黙ってられない人もいるでしょう。だが、高度経済成長期と比較すると、物欲が低下したと認めざるを得ないし、今の時代にあった魅力的な商品やサービスが出てこないことも否定できません。
一つだけ言えることがあります。もはや、高度経済成長期が異常であって、今とは経済構造が違うことを理解しなくてはなりません。
今の政治、行政の姿勢は、高度経済成長期の状態が当たり前であって、それに戻さなくてはならないと考えているように見えます。それではうまくいくはずがありません。
日本がなぜ高度経済成長期に成長できたのでしょうか。これは東洋の奇跡と言われていました。まさにその通りでしょう。
ただし、その核となるのは、作り方を教えてもらわなくとも製品を見ただけで同じようなものを造ることができる「技術導入」は、
①技術導入と言うが、それは他民族は行おうとしないこと
②それは高度経済成長期だけでなく、それ以前から日本人にはできていたこと
という日本人の強力な強みだった。
それがちょうど耐久消費財の普及過程という時代に遭遇することができたからと考えています。
つまり、日本人特有の能力を最も活かす時代に遭遇できたことです。(なぜ日本だけが高度経済成長できたのか。その行動様式とは)
逆に言えば、今はその特有の能力が活かせない時代なのです。
日本の高度経済成長は日本の優秀な官僚が導いたと主張する人々がいます。
私の主張は、先に述べた内容が核となっています。つまり、日本の官僚が高度経済成長期に寄与した貢献は極めて低いと考えています。
仮に日本の官僚が優秀ならば、今のデフレ経済からの脱却は簡単にできていたはずで、バブル崩壊以降の失われた20年などにならなくて済んだに違いありません。
このことは私が声高に叫ばなくても、歴史が証明しています。
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