低い生活水準でも希望があるor高い生活水準でも希望がない

あなたは、「低い生活水準でも希望がある」状態と「高い生活水準でも希望がない」状態とではどちらが良いでしょうか。
人間にとって、希望はとても大切なものです。

テレビや映画でお金持ちが犯罪に手を染めてしまう状態を描写します。
一般人からすれば、なんでそんなことに犯罪を犯すの?と思えるような内容もあって、それを見て突っ込みたくなります。
そんな時、お金持ちにはお金持ちの悩みがあるのさ、と言ってみます。
私にはわかるんです、と言いたいところだが、私にはお金持ちの悩みなどわかるはずはありません。

映画でも『ALWAYS 三丁目の夕日』のような、高度経済成長期を描写しようとしたものもあります。あの時代を生きていた人には懐かしさがあるのでしょう。

「低い生活水準でも希望がある」or「高い生活水準でも希望がない」をテーマにしましたが、高度経済成長期は前者で、今は後者であることを想定しています。

今は格差が激しい時代となり、非正規社員ではとても結婚などできるような所得は得られません。もちろん、彼らは金持ちではありません。
だが、高度経済成長期に比べて、格段に生活は良くなりました。耐久消費財は昔に比べて圧倒的に安くなりました。
大学卒の初任給で一人暮らしに必要な家電製品は、一番安いものを選べば大体手に入ります。
耐久消費財が出たての頃は給料の数ヶ月分を投じて1つずつ家電製品を揃えなくてはなりませんでした。

お歳を召した方々からは高い生活水準でいられるのは俺達が頑張ったからだとと言われます。
しかし、若い非正規社員からすれば「夢も希望も無い世界を作ったのはお前らだろう。」という気持ちを持っているようです。

「早く戦争でも起こって、焼け野原にでもなってくんねぇかな。」と若い非正規社員が言ったのを聞いたことがありました。

どんでもねえ奴だな、と思う方もいると思います。
しかし、彼らの立場に立てば、そう言いたくなる気持ちもわかります。

やはり人間は、
・自分の成長(組織内での地位向上も含む)と
・自分の将来への希望
は重要なのです。
彼らは立場上、両方とも描けない状態です。

問題は生活水準が高いから我慢できる問題ではないことです。
お歳を召した方々は、生活水準を上げるために必死で仕事をしたため、生活水準が高い状態でいることが無条件に良いことと考えがちのようです。

しかし、若い非正規社員からすれば、そんなことよりも、自分が成長している実感を持つこととか、自分が今頑張っていることが将来につながるというような希望を持つこと等の方がよほど重要のようです。
生きている、自分はやれるという実感を持ちたいようです。

その気持ちは極めて人間的です。
その向上心を活かすようにできないでしょうか。
そうでなければ、景気など良くなることはないでしょう。

経済学は多くの要素が如何に経済に関係しているのかを考えます。
多くのデータを元に分析します。
しかし、彼らは日本経済が回復する処方箋を描けていません。

日本経済の問題は、実は、データに表れない内容が鍵を握っているのかも知れません。
人間が生きる上で、希望があるのか、ないのかは大きな違いです。
経済学はそれを加味して政策を考えているのでしょうか?
ひょっとしたら、このような側面が足りないのではないでしょうか。

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