エドガー・ケイシーの1998年日本沈没の予言は当たっていた

皆さんは自分が知らない内容のことを人に伝える時にどうするでしょうか。
何か言葉はあるはずだが、何という定義の言葉で表現したら良いのかわからない場合は、形態を絵に描いたように言葉にして伝えたりしないでしょうか。

例えば、スノーケルという言葉を知らなかった場合、泳ぐ時に頭、顔を含めた体全体が水面下にある状態のままで、筒の片方を口に含み、片方を水上にある状態にして息が吸えるようにする器具、というように。

前の記事「需要減退は1998年から始まった」(https://shinkashi.com/2016/07/02/juyogentai1998/)を書いた後で、1998年7月からマイナスになる消費者物価指数の前年に対する伸び率のグラフを頭に思い浮かべていました。

1998年と言えば、日本沈没の年でした。
1998年日本沈没は、予言者エドガー・ケイシーが予言したことが始まりです。

エドガー・ケイシーは1945年に亡くなっています。
デフレの概念はわかっていたかも知れませんが、欧米では長期間のデフレは耐えられません。2%以下の低い水準の物価の低下が長期間続くことをどのように言えば良いのかわからなかったのではないでしょうか。

そうであれば、1998年7月からマイナスが続く消費者物価指数の前年に対する伸び率のグラフを仕方が無く、日本が海の中に入ると言ってしまったのではないでしょうか。もし、その通りであれば、予言か当たったことになります。
しかも、始まった年も1998年で当たっています。

「日本沈没」は高度経済成長期に映画になったはずです。映画が上映された当時、一大ブームになりました。
興味があって、過去に本を購入したことがあります。五島勉氏著『「1998年日本崩壊」エドガー・ケーシーの大予告』(青春出版社)という本です。
この本によると、日本沈没に関する予言の全文は、「the greater portion of Japan must go into the sea」(P147)と書かれているのだそうです。

この文章を見るとおかしいと思う人も多いでしょう。予言なのに、なぜ「must」が使われているのでしょうか。

この「must」に疑問を持ちながら、五島氏は解釈を進めようとします。
彼の解釈の内容を、P158からそのまま抜粋すると、
゛「それは予言というよりも、日本は沈まねばならないという掟だ、超予言だ。指令だよ。つまり、このケーシー・リーディングはね、「Japan must・・・・・沈まねばならない」って言い方で、構成の人間に一種の秘密指令を与えた。予言以上の効力で後世の人間を呪縛しようとしたんだと思うな・・・・・」とあります。
予言に呪縛の意味を加えるのは、違うような気がしますが…。五島氏は1998年の前に考えているのですから、ピントが外れるのも無理もありません。

1998年から18年も経っている今の状態から読み解くと、このmustには2つの意味があるように思えます。
一つは、長期デフレの原因がわからず、苦しんで、デフレから脱却できないで、消費者物価指数の前年に対する伸び率のグラフがマイナスのまま続いている今の状態を表していて、「海の中にいたままにならなければならない…」の意味と解釈できます。
もう一つの意味は、日本が長期デフレの原因がわからず、苦しんで不況から脱却できず、国際的な経済的地位が低下した様を、「海の中に沈まねばならない…」という意味と解釈できます。
2つの意味でmust go into the seaを使ったのではないでしょうか。

このような解釈なら、エドガーケイシーの1998年日本沈没の予言は当たっていたといえるのではないでしょうか。

この予言が当たっていたのなら、日本が海の上に浮上する希望はあると思っています。

mustが使われているのは、長期デフレの原因がわからずにいる場合に、良くない状態にならねばならない、という因果関係を示していると考えるからです。

だからこそ、予言には使われないはずのmustがわざわざ使われたのです。

つまり、長期デフレの原因がわかり、その対策を立てて、実行することができれば、mustで表された因果関係から離れて、海の上に浮上すると考えられます。

少なくとも、私はこの予言が当たったと信じ、そして、長期デフレの原因がわかることで、日本が海の上に浮上すると信じています。

 

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